8月30日

第1490回例会記録  No.7
平成 18年 8月 30 日
司会:西島 孝 
編集:長谷川 真也

会 次 第
1.点鐘
2、ロータリーソング (それでこそロータリー)      
3.お客様紹介 
元子弟交換留学生 李 美貞
4.会長挨拶
5.幹事報告
6.3分間医学情報 安井 晃会員
7.会員卓話 関森 初義会員

会長挨拶
 
会長 太田靖彦

皆さん今日は、納涼例会には暑い中、遠出をしていただき有り難うございました。

日本工業倶楽部は、丸の内にあって三菱地所等財閥系かと思っておりましたがそうではなかったようです、本日はそれらのことから近頃はあまり、言われることのなくなりました財閥について少しお話してみたいと思います。

財閥とはコンツェルン型独占資本主義の一形態で、日本独特の支配形態を示す企業集団。今の若い人は近頃なじみのない言葉になってしまいました。

財閥それはお金持ちと言う意味と思っているかもしれません。戦前は多くの財閥があり、四大財閥は三菱、三井、住友、安田、八大となるとそれに浅野大倉、古河、川崎となるそうです。財閥にはすべて創業者の名前がついていますが、唯一土佐藩の岩崎弥太郎氏が創業者の三菱だけが違っているそうです。

戦後財閥は解体の憂き目に会い、そのときは15の財閥が対象になったそうですが、皆様もご承知の通り、色々な意味でグループとしていまだに残っているのが現実です。

スリーダイヤの三菱は三菱商事、三菱重工業、三菱東京UFJ銀行、三菱自動車、三菱不動産、明治安田生命、数えるときりがない。私も三井系の小野田セメントと言う会社におりました。お中元、お歳暮は三越で、ビールはサッポロ、といった具合にグループ内でお互いに助け合ったということでしょう。

しかし戦後も60年を過ぎ日本国内で閥を作ってしのぎを削る時代ではない、世界を相手に戦っていく時代です。私がいた小野田も浅野系の日本セメントと合併太平洋セメントになり、名前まで無くなってしまいました、私がいた時には考えられないことでしたこれからも、時代とともにもっともっと、世界を相手の戦いになってくることでしょう財閥といった、懐かしい響きのお話をさせていただきました。


幹事報告

幹事長島 洋一

越谷中RCより例会・例会場変更のお知らせが届いております。

お客様
 
元子弟交換留学生 李 美貞

北クラブでの思い出話をしました。

委員会報告

 

親睦委員会委員長 宮崎 敏博
1.IMゴルフの案内
2.浪江RC合同親睦旅行の案内
3分間医学情報
 

3分間医学情報


安井 晃会員
歯の治療についてパワーポイントで説明がありました。
        
 
納涼例会お世話様でした。     太田 靖彦 長島 洋一木村二

 中澤さんを宜しくお願いします                 小河内梅幸

 納涼例会出席できずすいません     宇田川芳行    

 真々田さんいつもお世話様です。              安井 晃                      
 李さんお久しぶりです             青木 清

  世界平和の為              永田 雄治 堀野眞孝


会員卓話

 
関森 初義会員

[ロータリークラブに入会し、心に残る思い出]

本日卓話をします関森です。プログラムの鈴木委員長より先週にも「関森さん来週頼みますよ。」と再度の依頼を受けました。宜しくお付き合いのほどお願い申しあげます。この題をいただいて、ロータリークラブに入会して、たくさんの思い出はあります。しかしながら、瞬時にお話できることは、実際少ないような気がいたします。人間記憶に残る事象には、強いインパクトがあればこそ思い出となって心に残るものではないでしょうか。

そこで、[初めて]をキーワードとして皆様にお話して行きたいと考えます。


まず初めての入会式ですが、1994年の当時青木康国会長年度に元会員の亀田さんと一緒にこのクラブに入会させていただきました。そのセレモニーは青木会長より胸にロータリーバッジを付けていただいたときは、ナポレオンの戴冠式のような気分のなかで、緊張と歓喜がいりまじった感情を覚えております。

同時に多くの会員の視線が向けられて圧倒されたからです。その後の自己紹介においても、全身の血流が一時ストップした位、自分でも青ざめて、終わったあとは呆然としていた状態だったように記憶しております。12年経た今日ですが、いまだ人前でのスピーチは緊張いたします。

次にお話したい「初めて」は、周年記念事業の参加でした。翌年小河内会長年度の20周年記念事業にコミセンの大ホールで開催された行事の凄さがイコールロータリークラブの凄さをまじまじと体験できたことです。多くのロータリアンが集い、そしてひとつになって祝賀する光景に目を奪われました。また、準備本番片付けと一貫した計画と実践を一会員として参画できる喜びを感じました。クラブ会員同士の協力体制や、会員全員での達成感がひときわ味わえた時間でした。

続いての初めては、理事役員に抜擢されたことでした。これは岡崎パスト会長年度に初めて理事になったことです。右も左もわからないままロータリークラブの方針方向を決定する最高決定機関だけにその重責は重いものだなあ。と感じておりました。

当時年度計画書の定款細則をよく目を通したものでした。それ以前は、あまりというか殆ど読んだことはありません。これも思い出です。いまでは8年連続しての理事役員となっている状況です。そろそろ一歩さがった状態でロータリーをみたいと思っている今日この頃です。

続いての初めては、幹事の役職についた事でした。2001年当時、辺見パスト会長とは、ことばを交わすこともゼロに等しい方でしたが、何故自分なのか正直いってわかりませんでした。ただ辺見パストには、1日の猶予をいただいて返事をしたというのが実際です。決まってからは彼の元で、勉強の連続でしたが、おおらかな彼の性格のおかげでしょうか、自分独自のスタイルで年度計画書に始まり、最終例会に終わりました。この最終例会に私はいままで伸ばしていた髭をそり落として、任を完結したことを実感しさっぱりとした瞬間でした。これもまた心に残る思い出の一つです。

最後の初めてはもっとも思い出深い事柄です。それは、豊田パスト会長年度の1998年初めてのプログラムだったと思いますが久世パストガバナーの方針のもとジャパンプログラムが創設されてロシアから財団奨学生を受け入れる計画があり、その際のホームスティ先を当時今現在中ロータリークラブに所属している文教大学教授の近藤先生が、候補者を探していました。私は、即座に「先生、うちは共稼ぎをしていて、なかなか面倒は見られませんが、それでよろしければ一考に構いません。」そのときの返事は、「それが一番いいんだよ。」ということでした。それからはとんとん拍子でことが進み、アンナとの出会いが始まりました。うちへ来て4ヶ月ぐらいたったある日のこと、「アンナ、叔母のところに捨て猫がいるんだけれど、一緒に見に行きますか。」と聞いたところ、「関森さん、わたしは、昨日猫の夢をみました。是非みたいです。」と返答があって、早速見に行ったところ、彼女は矢つぎばやに「関森さん、関森さん、私が見た猫は、この猫です。とてもびっくりです。」といいながら、夢と現実がまさに一致した瞬間でした。アンナもそれはたいそう気に入って名前をつけることになり、彼女は「アンナは、英語読みでは、エニーというんだよ。」と教えてくれました。それ以来うちの猫はエニーという名の猫です。今でも元気でもう丸8年を経過しています。これがその猫です。わずか6ヶ月間の滞在でしたが私たち夫婦には、大きな宝物となりました。いまでもオーストラリアから連絡をしてくれます。ぜひ、留学生の受け入れをしてみて下さい。

それから、思い出に残る会員語録を紹介したいと思います。
1.宇田川会員「よう、ゼェントルマン。」
2.眞々田会員「幹事が遅れてどうする?」
3.稲垣会員「この人は、なかなかのアイデアマンだね。」
4.青木会員「いつも、オシャレだね。」
5.青木康会員「あなたは、意外とクールでね。」
6.小河内会員「俺って、口は堅いんだけど、おしゃべりなんだよね。」
7.鈴木由会員「自分らしく、あんたらしくすればいいんだよ。」
8.小林光則会員「ひとこと言ってくれればいいに。」


最後に、「初めて」をキーワードにしたことで、結構、胸をうつことがあったり、脳裏に焼きつく事が私の場合はありました。いかに初めての出会い、初めての体験、初めての事柄といったものが大切で影響力があるかを痛感しております。結果的にそれが思い出として残っております。

おそらく皆さんもそのようなことはありませんか。ベテランの会員さんも「そうだったな。」とうなづく点ももしかして、また新しい会員さんもそうだったのかと感じていただければ幸いです。(会長提言とRI会長提言の連動性)また、ロータリーの理念、行動は、会社の経営という点からも役に立つのは実際のことです。

出席報告

会員数            51名
出席免除者         5名
出席率算出対象者数  46名
出席             35名
欠席              12名
出席率       74.4%



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